新型コロナウィルスパンデミックが収束して1年半が過ぎた。日本人の国民性の一つに忘却が得意であることが挙げられる。それは長所でもあるが、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」的な意味合いで言えば、欠点として意識すべきことだと思う。
日本の国も、日本の社会も、人がそうであるように、遭遇した困難や経験した出来事から学習し、反省し、時には、後悔し、償わなければならない時は償うことが、より良き明日にとって大切なことである。
新型コロナウィルスパンデミックは日本にとって、日本人にとって、初めての国全体の厄災であった。
しかも、3年の長きに亘る凶事であった。
太平洋戦争が終わって約80年。
その間にオイルショックや福島原発事故など、いろいろなことがあったけど、このパンデミックは太平洋戦争に次ぐ凶事であった。(個々のケースしてではなく日本の社会全体としての凶事であった。)
日本国は既存の法律に追加して法律を作り、政府と都道府県が役割分担して、行政権力として対策をうった。
公衆衛生の専門家や医学者などが政府から指名され専門家として科学的な観点から助言を行った。
マスコミは国民がパンデミックに対して正しく行動してもらうように公的な責任を帯びた広報の役目を担う一方、独自の見解を社会的責任を負うとの自意識の中で積極的に情報発信した。
結果として、3年後に新型コロナウィルスは新型インフルエンザと同じ感染症5類相当に指定され、コロナ騒動は収束した。
多くの人が亡くなったり、経済活動が抑制されたことで経済的損失を被った人が多くいた。
そして、現在、殆どの日本人はあの騒動を忘れてしまっている。
約20%ぐらいの人たちが経済的に取り戻すことが出来ない額の大きな損失を被った。
倒産したり、廃業したりしたところも数多、これからも倒産や廃業となる事業者は増えるだろう。社保倒産なる言葉が社会的に認知されてしまった。
尾身分科会会長は日本のパンデミック対策は世界でも一番の成功事例だと豪語している。
政府も福島原発の時と同じく政府の政策について客観的に検証しようとする気はサラサラない。
都道府県知事は知事会を通じて政府の政策に影響を与えたにもかかわらず、同じく検証することに消極的で、県内の交通、観光関連事業者の困難な経営実態を他人事にして、絵空事の観光振興や地方創生ごっこに勤しんでいる。
結局、日本が経験したこの歴史的な厄災に、政治や行政を含む日本の社会システムがとった対応を誰も検証、評価しようとしない。
今回のポストに対して私の通常のレベルを大きく超える反響があったのが、意外でした。
面倒事は終わったことにしたがる日本の社会、日本人との先入観の中、コロナ禍対策を検証、評価するべきと思っている人がまだ少なからず、残っていることを気付かされた。
私は経営者であり鹿児島の経済人ですので実務優先になります。
また、裁判も経営者のビジネスの実務としてやっているので、YouTuberみたいに広報活動や世論形成にあまり労力を割けませんが、極力、裁判関係の情報を世間に出していかねばと思いました。
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新型コロナウィルスパンデミックが収束して1年半が過ぎた。日本人の国民性の一つに忘却が得意であることが挙げられる。それは長所でもあるが、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」的な意味合いで言えば、欠点として意識すべきことだと思う。

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