私が中学校の頃「頭の体操」(カッパブックス)という本が出ていました。思考という行為もしくは機能は遺伝的要素が大きいと思われていますが私は少し異論を唱えたいと思います。

私が中学校の頃「頭の体操」(カッパブックス)という本が出ていました。思考という行為もしくは機能は遺伝的要素が大きいと思われていますが私は少し異論を唱えたいと思います。
「頭が良い」とか「頭が悪い」とか日頃安易に使いますがそもそもそれは「力がある」「力がない」と同じ定量的なものでなく定性的な主観でしかありません。
物理的な力がある、ないで言えば、力のない人は頑張って筋トレをして筋肉をつければ力がある人になれます。
力を能力と言う意味で捉えれば 全てのスポーツでアスリートはそのスポーツに適した運動能力を上げるために自分の身体能力をあげる訓練をします。
つまりアスリートとして力をつけることが出来ます。
そういう意味では頭の悪いひとが頭を訓練すれば頭が良くなるはずです。でも大方の人が頭は後天的努力で良くすることが出来ないと思っています。
この本を書いた多湖輝さんは「頭の体操」なんてタイトルをつけるなんてなんと頭のいい人だと思います。
スェーデンかフィンランドかは初等教育で思考の訓練を教育のプログラムに組み込んでいたと思います。
独学で人並み外れた水準に到達出来るのは天才のみでしょう。
その下の素質から標準的なレベルの素質の人で言えば小さい時から良き指導者につくケースと付かないケースでは明らかに差がつくのは明白です。
今の日本ではテストで高い点が取れる人を頭がいい人のグループに入れてしまいまが集合理論からすれば間違いです。
特に今の日本のテストは知識偏重型のもので思考力が伴わなくてもいい点が取れます。
逆に出題者が知識偏重教育の勝者ですから出す問題も思考力より知識やhow to型のテクニックがあれば高い点が取れる問題しか出しません。
日本の再生は教育と受験制度の見直しから始めないと難しいと思う理由がこれです。
秀才はいらないどころかマイナスfactorかもしれません。頭の体操のテストを受けさせて出来なかった人は霞ヶ関や大手町や学者専門家の業界から引いてもらうのはどうでしょうか?
日本再生プランとして頭の体操を日本中の小学生6年生と中学生に配布するのはどうでしょうか?

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