軽い気持ちで石丸さんの話題を取り上げました。反響が意外とあって言いぱなしでは誤解も生じると思い追加でポストします。

軽い気持ちで石丸さんの話題を取り上げました。反響が意外とあって言いぱなしでは誤解も生じると思い追加でポストします。
石丸さんの人格や主義、主張に関わる話題ではないです。
私は小さい時から人間の考えるという機能について関心があり長い間考えるということを自分なりに考えてきました。
少しは本気でほとんどは冗談で思考学の学会でも組織できないかぁと思っています。
パスカルは人間は考える葦であると言いました。デカルトは我思う故に我ありと言いました。
アリストテレスは人間は心で考えると言っています。
ちなみに知性、理性、感性、そして悟性の四つが人が考える時に必要な能力だと私は思っています。特に悟性は大切だと思っています。
そんな私から石丸さんをみて感じたことが彼の思考は日本的な思考ではないということでした。
彼の発言は思考が根源として存在してその思考の内容を外部環境で具現化することを目的として言葉を発していると思います。
言葉は一般的に他者とのコミニュケーションのために使われます。日本人は言葉のこの機能を最も大切にしています。
ここでいうコミニュケーションとは互いに意志を疎通させることを意味しています。
ディベートというゲームみたいなものがありますがこれはコミニュケーションではなく言葉を使った敵対的論戦ゲームです。似たものでディスカッションがありますがディスカッションは課題を共同して考えて解決方法を見つけようとするある種のコミニュケーションです。
言葉と思考は必ずしも一緒ではありません、 つまり人間は必ずしも言葉でものを考える訳ではないがその考えを他者に伝える時は必ず言葉を使うこととなります。
マスコミの世界で例えればインタビューという行為に関して言えばそれはディスカッションでもディベートでもなくましてやコミニュケーションでもありません。
マスメディアは本来その人がメディアを通じて一般の人にコミニュケートする道具であります。だから媒体と言います。
その当事者が多くの人に自分を自分が考えていることを知って欲しいとの思いがあり取材を受ける訳です。
但しマスコミ側はその人の言葉は取材を経て彼らの媒体のデジタル信号になったら彼らが編成権を有する彼らのコンテンツでしかありません。
いわゆる「切り取り」はマスコミの媒体を支配しているのは自分達でその人の発言は取材の対象になった瞬間に自分たちが煮ようが焼こうがこっちの勝手だという思い上がりが根底にあります。
私も有名人ではありませんが地方の然るべき公職を務めていますので取材を受けてマスメディアに露出することがあります。たまには全国メディアにも出ることがあります。
こちらは私の考えていることを時間や枠が許す限りフラットに伝えてくれると思って頑張って色々なことを言ったり書いたりしますがそうはなりません。
だから取材に応じないという判断があるかと言えばありません。望むものの10%でも得られれば出ないよりはマシですから露出を心掛けます。
マスコミの取材の殆どは彼らの考えるシナリオに添った発言をしてもらうべく誘導的な質問をしますしそれに乗らないと繰り返し言葉を変えて同じ趣旨の質問をします。
問題になった選挙結果が出た日曜日の夜のインタビューのやり取りは前述のパターンの典型みたいなものでした。
公平な報道をしなかったマスコミが選挙が終わった後に社会の公器面して上から目線で誘導的な質問をするのは石丸さんの性格をもってすればここぞとばかりに公衆の面前で彼なりの反撃をしておきたかったのでしょう。
石丸さんは普通の日本人的思考回路を持たない人だと私は考えています。だから石丸さんはここぞとばかり歪んだ選挙放送のあり方に異議を唱える場面を多くの国民に見せることを目的にあのような態度を取ったと思えば少しは何故について分かると思います。
そうすることによって失うものも大きいです。一般的な日本人は好まない戦術ですが石丸さんは敢えてそれをやる面白い変人だと思います。
象徴的なことがアベマTVのMCがそんなやり方のマイナスをリスクがあると表現した時に石丸さんはコストと言ったことが私に取っては「なるほど、なるほど」と感じました。
日本人的にはそれによって被るマイナスを出来れば被りたくないと思うのでリスクですが石丸さん的な思考ではそれによるマイナスを避けたいなんて思っていないのです。折り込み済みなのでコストになります。
またまた理屈っぽいポストになりましたが興味ない方はスルーしてください。

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