鹿児島の皆さんにお伝えしておきます。日本の教科書には明治6年の政変で西郷さんが下野した理由が征韓論が敗れたこととなっていますが史実は違います。

鹿児島の皆さんにお伝えしておきます。日本の教科書には明治6年の政変で西郷さんが下野した理由が征韓論が敗れたこととなっていますが史実は違います。
西郷さんが主張したのは遣韓論です。政変の勝者である岩倉具視、伊藤博文などが後付けででっち上げだのが征韓論なのです。
西郷さんは李氏朝鮮を武力で攻めることなど全く言っていません。
国交が途絶えていた李氏朝鮮に礼を尽して自分が丸腰で外交団の代表で訪韓すれば相手もこちらの誠意を分かってくれて国交正常化が叶うと主張したのが西郷さんでした。
当時の国家の意思決定機関であった太政大臣会議で参議の評決は遣韓論が多数となり西郷さんを李氏朝鮮に派遣することになりました。
しかし太政官大臣であった三条実朝がそれを明治天皇に伝えず時間稼ぎをしました。
結果三条は仮病で太政大臣を退き代理職に岩倉がついたのです。
岩倉は機関決定事項を天皇に伝えないと制度を無視して宣言したために西郷さんがキレて参議を辞職して鹿児島に帰ってしまいました。
これを明治6年の政変と言います。
万機公論に徹すると五箇条の御誓文にあるが如く明治天皇の親政の形をとっていても太政官大臣制(参議の合議制)を採用してスタートした明治新政府もこの明治6年の政変から公家と長州閥が天皇の名を騙って好き勝手にやる政体になってしまいました。
その結末が勝ち目のない太平洋戦争です。
鹿児島県は伊藤知事時代に教科書を作っている出版社に征韓論を遣韓論に改めるように申し入れをしています。

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