鹿児島空港のグランドハンドリング問題がなかなか前に進まない。

鹿児島空港のグランドハンドリング問題がなかなか前に進まない。
鹿児島はコロナ禍前は福岡に次いで国際線が多かった。台北、香港、ソウル、上海と4都市との間に便があった。
手前ミソだが鹿児島の国際線誘致は日本の他の地方とは歴史が違い昭和40年代の終わりから始まっていた。しかも鹿児島商工会議所が主体的にやっていた。
昭和50年代にはシンガポール香港、鹿児島間をJALが飛んでいた。平成にはソウル、香港は定期便で飛び台北や釜山はプログラムチャターで繋がっていた。今は香港ソウルが戻ったが便数はまだまだ少ない。

都会が外国人観光客で賑わっているけど鹿児島はまだコロナ禍前にも程遠い。
地方の人手不足はこんな形で地方を衰退させている。霞ヶ関、大手町、永田町の人間は地方の実情を無視している。
永田町には地方の代議者がいるのに彼らは本当に役に立たない。各県の知事や県庁にいる公務員も自分たちの地域の存続と繁栄のために働いている自覚はあまりないみたいだ。

地方創生とは都会が地方と中央の格差を隠すための欺瞞政策と思っている。

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